8−4 定説

戦後教育を受けてきた人たちは、ほとんど誰が見てもおかしいはずのことを、問題にできないし、また、現場の声を聞かないし、聞こうとしない。
 

得られた仮説を並べます。

仮説1 戦後教育を受けてきた人たちは、ほとんど誰が見てもおかしいはずのことを、問題     にできない。
仮説2 戦後教育を受けてきた人たちは、現場の声を聞かないし、聞こうとしない。
そしてその仮説が憶測かどうかわかる立場が、政府、文部科学省なのです。
その仮説が憶測か定説かわかりませんが

戦後教育を振り返っていきます。
戦後教育は端的にいうと、政府から与えられた教科書をひたすら理解、暗記してきた歴史といっていいでしょう。つい最近になって、変わってきつつありますが、国家の中枢部で働く年齢層に限っていえば、教科書絶対主義といえる、進学競争の時代であった。すなわち、何を言いたいのかというと、問題は最初から与えられていた。そしてその与えられた問題に対して、いかに早く、的確に答えを得るかが重要であった。高校までの進学競争で、人生のコースが決まる時代において、エリート層といえる国家、自治体の中枢部で活躍する人間は、その教育にどっぷりひたっていた。すなわち、現場、現実から、問題を導く教育を受けていないし、進学競争に明け暮れていて、その時間がとれないまま職についている。それは、問題を見つける問題化についてもいえる。であるならば、2つの仮説は限りなく定説に近いことがわかります。

定説  戦後教育を受けてきた人たちは、ほとんど誰が見てもおかしいはずのことを、問題     にできないし、また、現場の声を聞かないし、聞こうとしない。

この定説が、憶測かどうかはご自分で判断ください。ご自分が戦後教育を受けていた場合、自分で判断できると思うし、状況から、判断できると思います。その判断は、国民一人一人の判断にかかっているのです。
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