戦後教育の発端となったのは、太平洋戦争直後のGHQによる占領政策にあったことは論をまたないであろう。
そこで、それについて詳述してある 第四の国難ー日本崩壊の地鳴りが聞こえる 著者 前野 徹 氏の言を抜粋して引用する。
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アメリカの巧みな占領統治によって日本は解体され、新たな国に作り替えられた。しかし、戦後の指導者たちがしっかりしていれば、軌道修正は可能だったはずである。日本の舵取りをまかされた政治家達の罪も重い。
なかでも吉田茂首相の過ちが先送り主義、無責任、悪平等の社会、曖昧模糊とした国家を作り、戦後の日本を出口のない隘路に追い込んだ、と私は見ている。
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抜粋2******************************
なぜか。現在の米追従の外交、私利私欲の官僚制度の基盤を固めたのも吉田茂ならば、マッカサー憲法を後生大事にありがたがる風潮を作ってしまったのも吉田茂だからである。
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抜粋3**********************************
昭和二十七年四月より条約が発効し、日本は独立国に返り咲いた。
だが、現実には独立国とは名ばかりで、今も軍事的にはもちろん、経済も政治も外交も、国の基である憲法も、あらゆる面で事実上、アメリカに支配されていて、独立国の体を成してはいない。
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抜粋4******************************
だが、この吉田首相が選んだサンフランシスコ講和条約は、独立回復の条約などではなく、日本の属国化を決するものだった。対日講和条約は日米安保条約とワンセットで締結されたからである。国家の安全確保を他国に委ねるという対米依存体制がこのとき確立された。
ある国が他の国の独立を奪う目的をもって保護条約を結ぶときには、必ず国防権を剥奪する。アメリカも、憲法第九条を盛り込み。日米安保条約の締結で、日本の国防権、すなわち独立権を奪ったというわけである。
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抜粋5******************************
当時は、野党も憲法改正には否定的でなく、むしろ、押し付け憲法は改正すべきだという世論の声が高かった。なのに。吉田は千載一隅の好機を逃し、肝心な問題は先送りにしてアメリカのお先棒を担いだ。
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抜粋6*******************************
戦後日本の大きな病巣のひとつは、官僚支配体制とは識者の一致する見解だ。官僚たちが権力を一手に握り、国会をハイジャック、我がもの顔で君臨してきた。あげくに彼らは規制という名の武器をちらつかせて、産業界を自在に操り、国益そっちのけで私利私欲に走ってきた。この悪しき官僚利己主義の元凶を作ったのも官僚出身の吉田茂だった。
気位の高かった吉田は、初めから一般大衆など眼中になく、それどころかそれどころか政党政治と民衆を侮蔑していた。その吉田の考え方が対米追従一辺倒の政治、さらには絶対権力であったGHQの力を借り、民主政治の根幹である政党政治潰しにまでつながった。吉田はまさに虎の威を借る狐だった。
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抜粋7****************************
歴史観も何もなく場当たり的な政策に終始し、国の土台をなおざりにした無責任総理、吉田茂は、二流、三流の政治家どころか、国賊だといっても言い過ぎではないだろう。
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このことから、国民のみなさまは何を学んだのでしょうか。
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