5 教育の障害化における親の役割

 1996年に、東大出の父親が、不登校と家庭内暴力を続けていた中学生の息子を思いあまっ
て金属バットで殺したものがある。この父親は、自身セラピストだったが、他の相談機関にすがり、
受けていたカウンセリングというのが、「暴力に対してやり返してはいけない」という徹底した無抵
抗主義であった。その結果、息子の暴力はますますエスカレートするばかりで、状況はますます
ひどくなった。このカウンセリングそのものが、人権主義の観念主義に侵食されているとしかいえな
いし、この父親が観念主義横行の被害者と思えてならない。
 では、このような場合どうすればよかったのか。それは、子どもの前に障害となってたちはだかる
壁になる必要があったのである。わがままや甘えが暴力の形になるわけで、そのまま許してはい
けない。親は、子どもを慈しむ存在であると同時に、成長のためにあえて壁となって立ちはだかる存
在でもある。
 親の2つ目の役割として、自分の子どもの能力や適性を見抜く、それも早い段階から見抜く必要が
ある。自分の子どもの能力や適性にあった教育を主体的に決めるには、何よりもどのような能力があ
り、適性があるかを調べ、判断しなくてはいけない。そのためには日ごろから、親子の会話がなりた
たなくてはいけないし、信頼がなくてはいけない。
 そして、親の3つ目の役割として、人間としての基本的なモラルは親がなすべきである。モラルを
いくら観念的で高尚なことを説いても、わかるわけがないからである。実際にこれはいいことだし、お
互いにとって必要だという経験、体験が必要だし、その中で、公徳心やルール感覚は育っていく。そ
の絶好の場は、やはり生まれ育った家庭しかない。
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