3 学校教育にイントラネットを導入する上での光と影

 知識・技術の習得に偏った教育から考える力を養う討論の導入が検討されている。しかし、討論と
いう言葉は突然現れたのではなく、以前からあった。しかし、あまり進展しなかった。日本人にとって、
討論は苦手意識が強いのである。テレビ討論をみてもわかるように、一つひとつ検証することがなく
感情がこもってしまい、とても討論とはいえないしろものが多いのではないだろうか。その討論を手
助けする一つのツールとして、イントラネットのチャットがある。音声でなく、文字のため、じっくり、ゆっ
くり考えることができ、論理的に考え、表現することが促進され、表現力を豊かにすることができる。討
論にこのチャットを適度にいれることにより、討論の苦手意識が少なくなり、活発な討論が誘発し、教
科の内容の多面的理解と問題意識をもって望む態度の育成が期待できる。
 教科学習の評価を考えるとき、日々の授業の態度、考え方の評価の問題があり、現実問題として
一人ひとりの正確で客観的な評価は不可能だったし、客観的資料は試験等にたよるしかなかった。
それが、現在の点数主義につながったことは否定できない。掲示板型コミュニケーションを利用する
ことにより、へいぜいの知識、理解、態度、考え等の客観的資料が得られることにより、試験中心が
改められ、正確な評価につながることが期待できる。
 特に、総合の学習においては、内容がなくねらいがあるだけの学習形態からして、授業ごとの、あ
るいは日々の課題に取り組む態度、考え方が大切になる。これをどう評価するかですが、これも掲示
板型コミュニケーションが解決してくれることが想定される。
 SH、LH等を中心にして、学校での生活指導、学習指導、進路指導が行われている。この指導は、
多分にクラス担任の力量に負うことが多い。掲示板型コミュニケーションにより、個々の児童・生徒の
指導が学年全体、いや学校全体に広がる切り口を与え、その子に応じたより適切な指導が模索され、
支援できることが期待できる。
 掲示板型コミュニケーションは、groupwareの機能を持ち、従来のNotesに比べて圧倒的に簡単にシ
ステムが構築できる。問題、課題等をグループで、学習、作業、解決ができる。この協同学習により、
一人ひとりには難しいことでも、集団で解決することにより、各々の適性、能力等が試されることが期
待できる。
 校務における事務処理においても、データ、情報等をサーバー機で一括管理でき、情報の管理が
容易になり、不用意な情報の漏洩を防ぐことができ、教員の事務の軽減により、より多く児童・生徒
にかかわる時間がとれることが期待できる。
 児童・生徒、職員が、少なからず悩みごとや相談ごとをもっている場合が多い。そのとき、ひとり問
題を抱えてしまい、どんどん進展してしまい、にっちもさっちもいかなくなり、最悪の結果になることが
ある。そのとき特定のパソコン(スクールカウンセラー、管理職等)宛、メールを出せる環境により、最
悪の結果を防ぎ、関係機関の支援をえることが期待できる。
 教材、道具の作成、各種会議、会合においても、掲示板型コミュニケーションにより効率的な作成、
運営がなされることが期待できる。 
 授業等で画像、音声、テキストのファイルを作り、それを元にしてWebページを制作し、イントラネッ
トに載せる場合、校内だけと限定しているため、著作権、プライバシー等に配慮する必要が少なく、
発表がしやすい面がある。その発表を通して、児童・生徒の自己実現、「認められる」という経験と周
囲からの支援、心の交流の切り口として、役立てられることが期待できる。
 また、インターネットを含めたネットワーク社会に参画する態度の育成に有効な教材を与えることが
期待できる。
 知的障害を併せもち、書字の困難な児童・生徒にとって、ワープロの効果は論を待たないが、無味
乾燥な文字の理解から入る恐れが多い。およそ識字教育というものは、必要に迫ったときに覚える
のが最適である。日本の英語教育が失敗した、ひとつの理由として、文法から入ってしまって、必要
性から学ぶことが少なかったことに大きな原因があるように思う。障害児学校のイントラネットにより、
パソコンどうしのメールの受発信が盛んになることにより、必要だから文字を使う、理解するという方向
への学習、そしてそれに付随して人と社会へかかわり合う姿勢、能力の育成が期待できる。
 しかし、実際イントラネット導入を考えるとき影の部分を知っておく必要がある。それは、上記で述べ
たことの中に「期待できる」と表現したが、これはあくまで期待である。 パソコンに触れるということは、
便利な反面、不便なことがあるということである。それは、パソコンを操作しなくてはいけないことであ
る。操作する上で、ある程度操作について知らなければならないし、慣れなければならないからであ
る。ノートに文字を書くのと、キーボードでタイプすることでは、どちらが有効かと言うと、情報をあくまで
記録するという点からして、ノートの方が便利だし使い易い。授業において少なくとも、タイプ打ちが苦
手でパソコンにアレルギーな児童・生徒がいた場合、パソコンの使用に充分配慮する必要がある。教
科の目標がタイプを打つこととか、パソコンをどうしても使わないとやれないし効果があがらないという
教材でしか使うべきでないとことである。教科の目標、内容によって、黒板、ノート、プリント、OHP等
の他のメディアの利用が可能であるか、適切であるかを考える姿勢が大切となる。 パソコンを操作す
るのが得意な児童・生徒を対象とする授業の場合は、これもどの場面で使うかが大事になるが、使い
方により、効果的であるように思う。
 教職員の情報交換において使う場合は、意識改革や研修の問題はあるが、それなりに効果的であ
るように思う。
 このパソコンの操作についての問題点は、今の技術でのことであり、今後ユーザーインターフェース
の発達により克服が期待できるものと思う。例えば、電気を通す繊維が最近スウェーデン人によって
発明された。このことにより、紙や布でできたパソコンや周辺機器が考案され、ディジタルノート、ディ
ジタルペンといった商品が今年実用化されるということである。もしこれが、実用化、普及し、従来の
ノートや鉛筆にとって変わる事態になった場合、全く違った展開をみせるに違いない。
 影の部分の2つ目として、ネットワークを組むことから、以前と比べて、情報量が過多になったり、
情報の改竄等の問題から、情報が錯綜し混乱を招く恐れがあるということである。情報の取捨選択
を含めた問題、セキュリティの問題が新たに発生する。
 影の部分の3つ目として、便利なことは不便でもあるということ。例えば、ワープロの利用が漢字の
学習を阻害したと同じことが起こりうる。簡単に情報を得ることは、情報をつかむのに「戸外に出る」と
か「図書室で調べる」等とかの苦労を省くおそれがあり、その苦労によって得られる体験が希薄にな
ってしまう傾向が出てくる。
 こうした影の部分をいかに克服し実効あるものにしていくかが、課題として残る。
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