2 情報のとらえ方

 我々はどのようにして情報を得るだろうか。新聞、テレビ、図書といったメディアを
想起するぐらい、間接的に情報を得る場合が多い。例えば、新聞を見る場合、新聞
記者を含めた作成者の思惑が大なり小なり出ていることである。テレビで、現実を
撮影しているではないかと思うかもしれないが、どの場面を撮るか、どのように編集
するかは、テレビ局の思惑が出ており、この政治家は「こわもて」にしたてようと思え
ば、いかつい顔、表情の画像を選んで編集すればいいのである。ほとんどの情報は、
他者の思惑を抜きにしては考えられない。数少ない直接体験にしても、どのようにと
らえるかの段階で、マスコミ等の他者の影響を強く受けている。すなわち、我々の周り
の情報は、他者の思惑なしには、考えられない。
 そして、情報は伝わるごとに変質してしまうことである。例えば、現実を文書に書く場
合、画像、映像を入れたとしても、ほんの一部の情報しか伝わらないということ。そのほ
んの一部の情報が「すべて」ととらえるのが、官僚、企業組織であり、その中では、す
べて文書で処理するというのが基本だからだ。そこでは絶えず現実との離反が必ず起
こる体質といえる。その離反を是正するには、政治や企業トップがいかに、現実、事実、
歴史的事実を直視し学ぶかに尽きる。
 情報はどこにあるかというと、人が持っていること。人には様々な専門家がいる。専門
家といえないとしても、独自の考え方、見方、情報を持っている。日本において飲み会が、
情報の媒介に果たす役割が多く、飲みニュケーションと揶揄されるくらいだ。イントラネット
も情報の媒介に役立つが、日本に根付く?か始まったばかりである。

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