3月1日(月)


  8時半に丸山先生は教務で情報Aの科目担当者に訊いてみた。
「わたしのところは、教科書を終わる予定ですが今年度の情報Aは、シラバス通り、教科書一冊終わりますか」
「とても終わらないですよ。よいですか」
と困った表情で答えた。そこで、横にいた江島先生にすかさず訊いてみた。
「教科書終わらなくても良いですか」
「当然、終わらなくてはいけません」江島先生はきっぱりと答えた。
  本校の情報Aの科目は、従来からワープロ検定の合格に主眼がおかれ、教科書はあまり使っていないのが実態だった。教育委員会から、教科書を全部教えなくてはいけない通達があり、丸山先生は何とか教科書を1冊終えられる見通しがたった。情報科の主任でもあり、他の情報Aの講座はどうなっているかと思い、訊いてみたのである。
  商業の科目も似た状況で、検定合格に主眼が置かれて教科書を使うことは今までなかった。正確には、3年前の商業科に変わってからの3年間、教科書は使わなかったし、主任でないことをいいことに、そんなものだと割り切って考えていた。人は、その立場に応じた考えを持つ。立場があるから、その立場に応じた務めをせいいっぱい果たしていく。立場が人間を作り変えていく面が強い。立場でない場合は、あまり問題として意識しない。問題として意識しないことで商業科の組織にいられるのだろう。学校の問題も、それを意識しないことで学校にいられる。組織を離れては、人は生きていけない現実がある。組織に入るという選択の時点で、組織に迎合し、その問題に触れてはいけないということに気づいた。自分も知らず知らずに、迎合していた事実を見つけた。組織に不利益な事実は、組織にいる者の務めとして、ひたすら黙っていようと思った。
  だが、「これで良いのか」と思ったが、考えても考えてもわからなかった。この判断は、組織の中ではできないだろうことはわかった。考えれば考えるほど、深みにはまっていく自分があった。考えてもわからないことは考えないことにした。
  4限目の空き時間に商業科の会議があった。この前あった卒業予定の生徒2人の補習が多くの時間をかけしっかりした内容のものであることを告げて、情報処理4単位が商業科の中で認められた。
  その話し合いの中で、なぜ5時間という表現があったのかわからなかった。この5時間とは、ひょっとして欠席時数が規定の限度を5時間オーバーしているのではないか。それで商業科主任である三邦先生は5時間を強調したのではないか。そうだとすると、本来ならば、情報処理4単位未履修ということで、補習は無効となり、単位は認定できない。その結果、規定の単位数に到達せず卒業はできない。卒業できない生徒を卒業させてしまっていることになるが、わからない。
  また、問題が出てきそうだ。今更、蒸し返してもどうしようもないじゃないかと思い、黙っていることにした。成績の表簿上はつじつまがあっていたとしても、その根拠となるデータは学事システムが持っている。その学事システムの過去のデータを調べようと思えば調べられる。他の先生への案内では、学事システムはシステム上、過去(前期)に戻ることはできないと案内している。実は、学事システムはサーバーパソコンの時間でコントロールされており、サーバーパソコンにある時間を過去に戻せば、導入当初まで遡って過去のことが調べられるのである。もし万一、情報開示で調べられて、説明のできない個所が見つかり、卒業できない生徒を卒業させていた事実が見つかった場合、学校側はどのように対応するのだろうか。しかし、大須磨教頭からは、「調べ直す必要はない」と言っていたのを思い出した。ほっと安心して、これ以上詮索するのをやめにした。
  会議の終わりに、丸山先生が内密にしてといって他の商業科3人に話をした。
「専門高等学校等優良卒業生表彰について調べたのですが、表彰規定はないと大須磨教頭が言っていたが、実は表彰規定がありました。その規定とは商業の単位25単位以上という規定ですが、本校は教育課程上でもそれに満たしていません」と言ったところ、なぜこの話を商業科にもってこないかと憤慨していた。校長、教頭他とりまきだけで、ものごとが決まっていくという形はおかしい。しかし、ほっておくことにし、来年度見直していという形になった。
  放課後、部の顧問会議があった。サッカー部の廃部についての話があり、指導者と練習場所がないのが理由だった。指導者も現在までいた。場所については、ソフトボールの練習場所が確保されるのだったら、場所があったのではないかといったところ、ラグビー部があったからだという。後から、以前いた人にラグビー部について訊いても、練習を見たことがないという。別の人に訊くと、ソフトボールはあまり場所をとらないが、サッカーは場所をとるからという。なぜ、廃部にならなければならないのかわからなかった。