2月20日(金)


  10時40分過ぎに、図書室に図書課長の滝地先生を訊ねると、司書一人がいるだけだった。
「司書協議会で朝読(朝の10分間読書)は学力向上に、また生徒指導上にも良いと聞きましたので、職員会議で提案してみてはどうかと思って来たのですが、滝地先生はいないのですね」

いつもの人懐こい笑顔で、
「あいにく席をはずしています」

丸山先生は誰かに話を聞いてもらいたい気持で、
「授業でのことですが、1ヶ月以上かかっても産業社会に課せられたキャリアプランの原稿を150字程度しか書けない生徒がいます。パソコンでの入力どころではありません。学力が低すぎて、職場体験にいっても行った先の名と作業名しかわからなく、感想が書けないのです。そういう生徒は、学校に行かずに、蕎麦打ちのような作業をさせる方がよっぽどよいと思います」

司書は怪訝そうに丸山先生を見上げて、
「教える立場にはないのでわかりません」
  そこで、丸山先生はその生徒がいる学年の主任である瀬町先生を訊ねて、先ほど図書室で話した事を言うと、
「文部科学省の方針で、スーパーハイスクールは予算が多い。それ以外の底辺校は、予算が少なく、おもりしてくれさえすればよい。底辺校は矛盾だらけ。講座でも大学進学用の5、6人の講座もあれば、30人以上を1人の先生がもつ講座がある。その授業の大変の差は何でしょう。一方は、自習させておいても大丈夫な生徒の講座。片方は、ほっとくと何をするかわからない問題を抱えた生徒がいる場合が多く、人数の多さも考えれば、大変さの差があまりにも多い。それで授業のコマ数が平等だから、平等というのは、あまりにもおかしい。評価にしても、態度がおかしい生徒を何とかするために、態度、出席の点数割合を多くしても、試験の成績が良いと単位が取れてしまう。また、行儀よくすわっているだけで、何もわからず試験の成績がたとえ0点であっても単位が取れてしまう。結局、授業の目標に何一つ達成しなくても、単位を出さなくてはいけない状況。他の科目も同じ状況だとすると、何もわからず卒業ということが起きてしまう」瀬町先生の口から、淀みなく教育に対する痛烈な批判が滑らかに降ってきた。

 卒業証書ははたして意味があるのだろうか。決められた時間に決められた場所にいるだけで卒業。そのような生徒は学力が身につかないのだから、学校にいかずに蕎麦うちとかの作業をさせて、その道に熟練させた方が、本人のことを考えたら良いのではないか。また、卒業後就職しようとしても就職ができないだろうし、就職できたとしても役に立たないか単純な作業に甘んじなければならないだろう。学力がついていない若者の多くが学校にいくという選択をすることにより、人生にとって無駄な時間を浪費してしまう結果になっているのではないか。
  そう考えるに及び、丸山先生は約20年前の初任の頃、卒業証書を大学に返しに行った記憶を思い出した。大学のとき、何かのきっかけで『とらわれの身』になり、卒業が取り消しになるのではないかと思い悩んだ時期があった。何もする気がなく、来る日も来る日も寝てばかりいて、学業に身が入らず、相談にばかり行く日々を送っていた。早稲田大学の学籍抹消事件が決定的となった。
  これは、大学で学んだという歴史の否定であった。過去の歴史が否定されるということが、いかに青少年に苦痛と打撃を与えるか。過去の歴史の否定と言えば、戦後の歴史は戦前という過去の歴史の否定から始まったと言えよう。過去の歴史の否定が、根を張ることを忘れた植物のように浮遊物と化していく。浮遊物は、まわりの空気、水によって流されていく。ただ、ひたすら流されていく。そこには、流されてきた自分とその流れに逆らいたいという自分があった。
  放課後、2月の職員会議があった。仮入学のプリントを見て丸山先生は吉沢校長に訊いてみた。
「仮入学のプリントの中に誓約書があり、その文面には学校側の言うことを聞きますとの内容の誓約で、保護者の押印があります。言うことを聞かない生徒の責任は保護者ということですか」
  吉沢校長はどう答えればよいかわからず、後で話すからで終わり、先に議件が進んでしばらくしてから、「先程の質問に答えます。例年どおりです」
質問の答えになっていないと思い、
「保護者の責任ということですね」と訊いたところ、吉沢校長が答えたのは、
「昨年通りです。ご自分で判断ください」
  わからないから訊いているのも関わらず、自分で判断してとの返答。面倒見の良い学校も教科で判断してとの返答で校長の判断がなかったのが共通していると思った。
  生徒会功労者表彰の表彰者を誰にするかの問題で校務運営委員会で話題に出たDの名前がないことに丸山先生は気づき、提案者に訊いてみた。
「生徒Dは、やむをえない理由で学校を休んだり、部の競技大会に出場できなかったことがあると聞いています。家庭では経済的に大変で、父を助けお手伝いをしていると聞きます。人物良好というのは、学校と家庭の両方を見るべきで、応援したいし、表彰させたいと思うのですがどうですか」と提案したところ、それに対しての意見が交わされたが、一番ネックになっているのは欠席が多いのが難点になっていることだった。他の表彰があればということになり、同窓会で表彰されるように前向きに提案したいこととなった。生徒Dの部の顧問である江島先生から何の弁護もなかったのを不思議に思った。
  不登校認定で単位を出していきたいとの提案があり訊いてみた。 
「学校にきているのは何日ですか」
司会の大須磨教頭が
「そんなこと教える必要ないです。規定により処理しています」すぐさま言った。
  職員会議の議件・連絡事項が消化されたにも関わらず、重油タンクが地下に埋蔵されていて、(職員が車を止めると)危険であると、校務運営委員会で話したのに何の連絡もないのがわからないので訊いてみた。
「1階職員室と美術の棟の間に、重油タンクが埋蔵されていることは事実ですか」
  吉沢校長はしきりに左右の教頭、事務長に眼を配り、きょろきょろしていた。どうしてよいかわからない状態で、間がもたなくなり、言葉に窮したのか隣の事務長を見て、「事務に後で訊いてください」との応答であった。

「その事実が『ある』のか『ない』のか教えてください」と言ったところ、

事実が『ある』とも『なし』ともその場で答えてもらえなかった。
  次に、校務運営委員会で話さなかったことを話してよいかと許可を求めたところ、話してよいと言うことで訊いてみた。
「ある美術の先生の話では美術の棟の2階の書道室から火事があったら、非常に危険と聞きました」
反対側にいた当の美術の先生が大きく手を振って、丸山先生の聞き間違いだと言わんばかりに、「それは大丈夫。大丈夫だよ」との声が降ってきた。
  言ってはいけないことを言ったのか。恐れを知らない損得なしの無鉄砲さから、次の事もついでに訊いてみた。
「楢崎先生の話ですが、今のプレハブは・・・」
と言いかけたところで、ある教員の怒声に似た一言があった。
「生徒またしているんや、やめてくれ」
それから、大須磨教頭が「いい時間に終わりました」と言って、職員会議が終わった。
  校長の真上に掛けてある時計を見ると、5時5分少し前であった。従来の職員会議の多くは、勤務時間終了の5時5分すぎても、何も文句も出ないのにと思うことしきりだった。
  1階の職員室の戻ったところ、楢崎先生が顔をしかめて言うには、
「あんなこといっちゃ困る。大人なんだから。場所をわきまえないと」
「いつ言えばいいのですか」と訊いたところ
楢崎先生は、何かを言おうとしたが、目をふせ、黙ってしまった。
  この学校には、触れてはいけないことがあるようです。問題にしてはいけない内容あるようです。それがわかるのは、本校に一番古くから勤務していた大須磨教頭か。あるいは、・・・・・・・・・。ふと、丸山先生は土日にくると必ず大須磨教頭がいて教務専用のパソコンでことこつと作業していた姿を思い出した。あるいはその教務専用のパソコンの中にあるものか。わかりません。