2月17日(火)


  午後1時半より推薦入学判定会議があり、終わったのが4時ごろであった。丸山先生は1階の職員室に戻り、先程の会議で話題になった件で、古くからいる楢崎先生に訊いてみた。
「サーカー部での活動が推薦条件で、実際入学してサーカー部が廃部になった例はないのですか」

楢崎先生は一瞬ためらう風情があったが、目元が潤むと、口を開いた。
「実際にそのようなことがあった。吉沢校長にしても前校長から引き継ぎがあったはずだし、大須磨教頭は昔からおり、事の経緯は知っている」

と楢崎先生が言ったところで、天井を睨み、

「あの狸め」と罵り、

過去の記憶をたぐるかのように、
「情報処理の講座にいるB君は、そのサーカー部の主将だった。2年にあがるときに廃部になり暴れたのです」

「そしてどうなったのですか」丸山先生はその記憶の糸をいっしょにたぐりよせるかのように言った。
「謹慎処分になりました」

楢崎先生の目元が潤み、視線が宙を舞った。
「B君は2年のときから知っています。能力的には高い子でしたが、なぜもっと努力しようとしないのか不思議でした。同情しますよ。サーカーをやりたいから本校に入学して、1年で廃部。そんなことあったら、誰だって暴れますよ。他にどの生徒がいましたか」
「1学年に5名くらいだから、10名くらいですか。どの子もサーカーを続けていたら、問題をおこさなかったと思います。サーカー部に入る者は、問題をかかえている者、学業優秀で大学進学を狙う生徒ありと、多彩な能力の集団でした。しかし、その部を担当する者がいなかったのです」楢崎先生は自分に言い聞かせるように淀みなく喋った。
「そんなことがあったのですか」丸山先生はしみじみとした気持になり、頷いた。
  サーカーをしたいで本校に入り、結局は裏切られる結果。原因を作った学校が裁かれず、 被害者の生徒が裁かれるという構図。人を育てるはずの学校が、生徒の気持ちを踏みにじり、糾弾し、人をだめにする。人をだめにするのが、この学校なのか。学校は、その生徒達へ謝罪すべきではないのか。
  楢崎先生 はサーカー部の顧問だったという。B君は今年卒業予定で楢崎先生 は現在も本校にいる。だったらサーカー部を廃部しなくてもよかったのではないかと疑問に思った。そこで訊いてみた。
「どうして廃部になったのですか」
「継続して、部活動に担当する者がいなかったのですよ。私、顧問でしたが、3月下旬で任期が切れる講師ですからだめなのです。それで廃部となりました」