2月13日(金)

 午前9時に学校の図書室に行くと、滝地先生が司書室奥の机に向かって本を読んでいた。司書室へつながる扉を開け、

「専門高校等の表彰についてわかりました。新生高校の彗明先生に問い合わせたところ、本校の場合、商業で25単位以上必要とのこと。また表彰は、商業の校長会の判断で、学校の判断ではないということでした」丸山先生が得々と説明した。

滝地先生の顔色が変わり、

「そうやろ! 表彰規定があるんだろう。商業の科目は本校の場合、25単位もないだろう。商業以外の単位を何かで読み替えなくてはいけない。あの教頭、全職員の前で、専門高等学校等卒業生成績優秀者表彰の表彰は表彰規定がないといった。そして、私が本当に『ないのですね』といったとき、本当に『ない』と教頭がはっきり全教職員の前で言った」鬼の首をつかんだような表情で、声高に言った。

「そういう間違いがあったら、次の教務課長に責任が問われる恐れがあり、なり手がいなくなるのではないですか」

滝地先生は少し上ずった口調で、

「この表彰は表彰規定がないまま、ずっと続けるのではないか。校長、教頭の意にかなう教員が教頭になり、校長になるのが実態です。わたしは、『まっとうなことを言う滝地』で有名ですから、校長に疎まれて飛ばされてきました。今も他の学校に飛ばされるのではないか」

丸山先生は元来の正義感なのかよけいなことに関わってしまったことに不安を覚えた。

「わたしも、あたりまえのことを言っているはずですが、よけいなことを言ったのかな。私も飛ばされそうです。そういうまっとうなことが言えないのが学校の伝統なんですかね」

滝地先生は、司書室の中を行ったり来たりしながら、厳しい口調で、

「学校そのものがおかしい。皆、おかしいと思っていても問題にしない。表彰規定がない表彰状なんて全く意味がない。あの芥川賞を受賞した者は、不登校だったという。学校にこないほうがよっぽどいい」

「そうですね」丸山先生は軽く頷いた。

就職校内選考会議の問題で、例年校長が出席していないのか、校長の出席を求めたのに、遅刻するということがわかったことに触れて、滝地先生が、ひっそりとした口調になり、

「就職校内選考会議では、職安の所長の代理として、校長が出席しなくてはいけないのです。校長が出席しなくてはいけない会議は、他にも多くあるのですよ」

さらに熱が入り続けて、

「本校の卒業生が、就職後すぐやめるということ。普通でないやり方で、就職させているのではないか。企業はそれを見抜いているのではないか」

丸山先生は表彰状の問題をどうするかを迷っていた。

「専門高等学校等卒業生成績優秀者表彰の表彰規定ですが、どうやって、誰が調べるのですか」

「(県)教育委員会の指導主事に訊けばよいと思います。最近いろいろ変わっていますから。商業科が調べるべきです」滝地先生が噛んで含めるように言った。

 午前10時に丸山先生は校内ランのことで2階にある進路指導室へ行った。そこに芸術科の先生が隣の先生と話していたが、話が途切れたところで、

「デザイン室に校内ランの線が延びています。そこに、マック(マッキントッシュ)のパソコンを入れたらという話があるのですが」と訊いた。

「デザイン室にマックのパソコンをいれたら、美術科には好都合です。しかし、美術の部屋は3階しかなく、たくさん美術の講座があり、部屋が足りないのです。」と答えた。

これ以降の会話のやりとりから、火事のとき危険であることがわかった。奥の教室からでしか非常階段へ行くことができなく、2階の書道室に生徒がいた場合、奥の福祉実習室には鍵がかかっており、2階は燃えるものが多い。また、1階は調理室で、その近くの地下に重油タンクがある。火事になったら最後、「生徒は黒こげだ」と苦笑していた。そのこと、(吉沢)校長、(大須磨)教頭は知っているという。その重油タンクの上に職員の車があり、いつ陥没するかわからないという。そこで引火したら、車が燃え、校舎が燃えるという大惨事。問題が起きてからでないと動かないのか。あの非常階段があそこにあるのは、重油タンクへ運ぶトラックのためという。県の設計がいいかげんなのではないか。 こんな状態で、消防がなぜ認可したのか。調査がいいかげんなのではないか。避難訓練のときだけ、鍵を開けるという。何のための避難訓練なのだろうかと疑問に思うことしきりだった。

 12時40分に3年の成績をどうつけるかの商業科会議があった。

「以前、お話しをした情報処理の講座に、一人未履修者が出ました。1時間オーバーです」丸山先生が口火を切った。

「間違いないか」確認をとるように三邦先生が言った。

「何度も確認しています。クラス担任にも確認してもらっています。間違いないです」

商業科の楢崎先生が、

「授業で悪さをする子がいます。その生徒が、別の生徒にちょっかいをかけるため、その別の生徒が勉強できなくなっています」とほとほと困っているといった表情で言った。

「世情が厳しくなっており、教員の授業を評価するという。態度のように主観が入る要素の割合を多くとるわけにはいかなくなっている。弁護士もそこをついてくる」三邦先生が淡々とたしなめるように言った。

 日本の学校教育は、少数の人間が巻き起こしたことにより、全体が迷惑するという構図が多くあり、それを取り除くことができないという。その少数の人権を守るために、まわりの人間のあの手、この手を使う。

 丸山先生が楢崎先生に対して

「情報処理の授業でAという生徒の出欠が学事(システム)では欠時限度(科目の単位が履修されるための最大欠席時数)を超えているのですが、間違いないですか」と訊いた。

「この(教務)手帳いい加減だから、学事(システム)で直してくれ」

「え、学事(システム)はあなたの手帳のデータが正しいということで動いています。(あなたが、その講座の出欠担当だから、あなたしかわかりません。)学事(システム)をどう直せばよいのですか」問い詰めるように訊いた。

「Aという生徒は、前期××、後期××にしてくれ。」

「それでは、(学事システムの)集計結果を訂正します」楢崎先生の顔を覗き込むながら応じた。

 午後3時に、丸山先生と楢崎先生が情報準備室とその廊下にいて、そこから見える3階建ての美術の棟をいっしょに眺めていた。
  右手の下側には、スレート屋根の渡り廊下が見え、対面の美術の棟へ、また右手の奥のプレハブ造りの格技場へとつながっている。反対側の左手には、美術の棟から下へと降りている非常階段が見える。下を見おろすと、2階に書道室、1階の調理室が見え、暗くなっている。さらに地面には、円形のマンホールの蓋が点々と並んでおり、そのまわりは2つの棟にはさまれているためか、ひんやりと湿っている。スレート屋根に止まっていた黒い小さな鳥が、西陽が映える空へと斜めに直線を描いていくのが目に映った。

丸山先生がふと思いついて、

「あそこに見えるあの建物の3階のデザイン室にマックのパソコンを持っていく場合、好都合という話があることがわかりました」

楢崎先生は窓辺に近寄り、眼をこらして、
「あの建物の隣にプレハブがありますが、そこに3階建ての建物を作る計画があります。その3階に美術の部屋ができる予定です」

「それならば、美術の教室が足りない問題が解消されます。計画はうまくいくのですか」楢崎先生の視線の先をさぐるように訊いた。

楢崎先生の多くの年輪を刻んだような顔が物憂げになり、

「校長の仕事ですが、地声が大きくないとうまくいかない。日本の場合、少数の声の強いものによって主導される。個人主義だよ。生徒個人の成果が問われ、それが成績になるが全体の成果は問われない要素がある。生徒一人を救うために全体が壊れる。それが今の実態だよ。どうすることもできません」と呟くと、目を閉じ、その瞼に仄かな力が感じられ、陽に照らされていた。