第8章  福島原発事故と戦後教育の失敗

福島原発事故から見えてきた事実

 政府は、国民の財産と安全を守るはずが、見えてきたのは、自らの保身を守るため、組織を守るため、国民の健康・安全をないがしろにしているという事実。東電をはじめとする企業は、働く人の人命を騙してでも、企業の利益を優先させる事実。マスコミにしても、支持母体の企業の利益を優先して、政府・企業の手先として、国民に真実を流さない事実。

学者は、学者で詭弁を弄し、言葉に窮すると論点をうまくはずし、いかに放射能が危険であることを言わず、「安全、安全、安全」と連呼する。

 一体この国はどうなってしまったのか。どうなってしまうのか。よく考えて見ると、このようなことは、今に始まったことではないことに気づきます。世の中は狂い始めています。子殺し、親殺し、幼児虐待、高齢者虐待、学校のいじめ・非行、下請けいじめ、買春、売春の低年齢化。日本の歴史において、これほど堕落した時代はありません。戦国時代がひどいという人がいますが、それはその当時の人口のごくわずかな特殊な人たちだけのことなのです。現在の日本はほとんどの国民が堕落してしまっている。そこに見えるのは、自分さえよければよい、他はどうなってもかまわない。自分のよるべき組織(会社)さえよければよい、他の組織(会社)はどうなってかまわない。この風潮をたどって見ると、戦後教育にいきついてしまう。教育基本法の精神である個人の尊厳、個性の尊重にいきつきます。これは要するに、自分の気の向くまま、好きほうだいにしなさい。自分の利益を優先して考えなさい。ということを美しく表現したにすぎません。その戦後教育で優秀といわれる人、その教えに洗脳された人たちが、この国の中枢を握っているのが現実。サリンをばら撒いたオウム真理教の犯人が死刑ならば、東日本全域に放射能をばらまき、そこに住む何千万の無垢の国民を危険にさらさせた東電、国策として支持してきて今回の事故の対応にあたった政府・文部科学省・国会議員、それに同調したマスコミ、学者の犯人には、この死刑以上の極刑であがなってもらうしか考えられない。

 また、戦後一貫して行われた戦後教育、実はとんでもない人間を生み出してしまった。自分さえよければよい。他はどうなってもよい。社会がどうなってもよい。その成果か日本は放射能汚染の拡大により日本社会存亡の危機に直面している。太平洋戦争時の国難にあたって、お国のためと信じ、死んでいった英霊に対して、どのような申し開きができるのでしょうか。先のゆとり教育では、誰も責任を問われなかった。今回の戦後教育の失敗に起因する人災により、日本社会に多大な影響を及ぼした責任はきわめて重大で、その確信的実行犯である教育委員会、各校の管理職には、オウム真理教の確信的布教信者に科した(刑)罰以上の重い罰しか考えられない。

 また、これだけ多大な被害に対して、検察、司法が動かず不作為を決め込むならば、同調した共犯として、同様の刑に処するしか考えられない。

戦後教育の失敗

 日本の子どもたちは、知識をより多く持っているが、「心」が育っていないとよく言われます。その「心」とは何かといえば、人間として、してよいこと、してはいけないことを知り、人を思いやり、人の役に立とうとし、美しいものに憧れ、より善く生きようとする「心」の働きです。この「心」を育てることによって、その人の品性や人格が高まっていきます。

 ところが教育基本法で、「教育は、人格の完成をめざし・・・」と教育の目的をうたいながら、現実の教育には子どもの「心」が育っていないのであれば、それは教育の失敗でしかありません。

 子どもたちの間には、「自分さえよければそれでいい」という「自分勝手主義、自分中心主義」が横行し、すみずみまで蔓延しています。自己中心ですから、その周りの集団・社会に対しておかげさまであるという感謝する心が希薄で、「無責任」である一方他に対する依頼心・依存心が強くあります。また、他人に対して思いやりの未熟さから、すべてにわたって「無関心」です。その「無関心」であるがゆえに、美しいものや気高いものに対して「無感動」になり、「無感動」で心を動かさないから、自立していこうという気持ちが乏しく「無気力」になります。その上、社会人として生きていくための生活習慣が身についていないため「無作法」で、今まで言ったことも気づかず「無自覚」となります。この

「六無主義」が今を生きる子どもたちの特徴であると以前から言われてきています。

 その戦後教育を受けた子どもたちが成長し、その中で最も優秀な生徒が権力の中枢で活躍しています。オウム真理教の信者となった者は、サリンを撒いて、無垢の人間を身勝手に殺してしまい、福島の原発事故では、戦後教育の優秀な信者たちが、放射能を日本列島の広域にばら撒いて、無垢の人間に対して身勝手に健康を奪い、果ては、意図する、意図しないにかかわらず、結果として殺そうとしています。戦後教育の優秀な信者たちは、政界、財界、学界、官僚、マスコミ、その他各界に指導的立場で君臨しています。民主党がだめだから、他の政党というレベルではないのです。

 この国難に主権者である一般国民は、どう行動すればよいのでしょうか。

個人主義は、戦後教育の失敗ですか

1 日本人の多くは個人主義、民主主義を誤って理解しています。個人主義=自由=自分本位と考えている節があります。勿論個人主義とは「自由+責任」なのですが多くの人はこの「責任」を理解していません。個人を尊重する事が結果的にその個人の集合体であるコミュニティー、共同体を尊重する事に繋がるのですが責任が無く自分本位に物事を動かそうとするので組織が成り立たなくなっているのです。これは間違いなく戦後教育の弊害です。 2006/7/21

2 管内閣の支持率が 29% で、「他の内閣より良さそう」が大半の理由でした。これをよく考えて見ると、国民の大多数が「私は政治に責任を取る気はありません」という宣言をしているように思えてなりません。言い方を変えると「民主党を支持しているけど、民主党の政治の失態は民主党の責任であって私の責任じゃない」という感じでとらえているのです。

「では、どこの政党が良いですか?」と問い返せば、ただ黙っているか、 20 年以上前の自民党の失態を挙げる人しか出てきません。そしてその『良い』の理由は現在の内閣に当てはまっているケースが多いのですが、そのことを指摘しても思いなおす人はいないのです。

自分が民主党を推した愚かさや不見識を認めたくないためだとおもいます。要するに自分の間違いを認められないから言い訳に「ほかより良さそう」と根拠もなく言っているだけです。このような無責任な人間が増えた事は本当に嘆かわしいです。

いまの大人は戦後教育の成果なのか「個人主義」が強く出ている人が多いように見えます。だから自分の子供を平気で虐待しますし、自分が中心ですから子供手当など、目先の自分の利益にとびついて子供たちの将来に借金を残す事を平然としてしまうのだと思います 。 1/13

3 戦後の日本社会は、全体主義の思想から開放されて、あらゆる面で個人の自由と権利叫ばれるようになりました。しかし、自由と権利にともなう義務や責任が問われることが少なかったのです。そのため、「個人の自由」や「個人の権利」というときの「個人」とは、自分だけであり、他人の自由や権利は認めないものでした。自分を律することのない「自分勝手主義」でした。

  一般国民の他、政治家も官僚も自分の利得を守るため、改革に対して必死に抵抗したり、平然と嘘をつくようになりました。企業は利潤追求のため、何でもありで、消費者の生命や労働者の健康をないがしろにしてきています。そういった不祥事が発覚し、それを是正する法律を作ったとしても、自分を律することを知らないため、法の網を潜り抜けようとするものが後をたたず、無意味なものになってしまうのが現実です。まさしく、上も下も日本全体の道義が地に落ちてしまっているのです。 5/26

日本人の心が歪んでしまったのは、戦後教育の失敗ですか

1 近頃の日本人は何故こうも情けない国民に成り下がってしまったのでしょうか。

食品や建築資材の偽装問題・ NOVA やブレスレット販売のように平気で他人をだます、

振り込め詐欺に引っかかる人間が後を絶たず、事件・事故の増加と悪質化など、随分ひどくなっています。戦後教育の間違い。文明進歩の弊害。これではとても先進国とはいえないと思います。 2007/11/7

2 最近子供を平気で虐待したり、殺したりと、毎日こうしたニュースを見聞きします。かなり前から大人になりきれない成人が増えてきましたが、ここにきて我が子に対する凶悪な事件が多発しております。私自身は戦後の教育の間違いがこの様な人間を増加させたのではないかと考えています。

権利ばかりを教える日教組教育、国家や愛国心を否定した左翼による教育、礼儀作法、父母を敬う、年寄りを大事にする、といった日本の伝統的な教育方針は完全に否定されました。ゆとり教育世代が成人する現代、まだまだこの様な悲惨な事件はあとを絶たないと思います。 2010/7/30

今の学校教育は間違っていますか

1 今の学校教育は教育ではありません。学習所です。与えられた問題に用意された答えを予想させる能力を与えているだけの場所です。無責任体質です。教師の責任ではありません。戦後教育の間違いで今の大人の間違いの部分です。

イジメは世の中からなくなりません。しかしいじめられた人を慰めたり対抗して相手に対応したりする能力を磨くことが必要だと考えます。小学生では教師が指導的立場で注意すべき問題です。一人一人の心がけが一番大切なものだと考えます。見てみぬフリをすることこそ一番の問題ではないでしょうか。 2006/10/17

2 戦前を美化する訳ではありませんが、アメリカに「統治」される以前、日本はアジアで最も発展し、そして唯一の自立した一流国だったのです。日本人奴隷化政策の一環である戦後教育が、戦前は何もかも悪いと洗脳しただけのことです。

戦前の中国・朝鮮など改革が遅れ、経済や民衆の教育レベルは日本に比べ遥かに低く、特に中国の属国だった朝鮮は現在のどの貧国より酷い状況で、満州国になって日本によりインフラが整備され、生産基盤が整い、人間らしい暮らしが出来るようになったくらいです。

軍事力も当時の列強であったロシア、イギリス等西欧諸国を破り結果的にその植民地を解放しており、アメリカとも戦い半年間は優勢でその経験がGHQによる精神的奴隷化政策へと繋がっています。

治安についても一般家庭に鍵を付けなければいけなくなってきたのは高度成長以降であることを考えれば治安は昔の方が良かったのです。今でもサッカー観戦客のマナーの良さは世界から理解できないくらいに良いといわれていますが、戦前特に明治時代の日本人は当時日本へきた西欧の知識人が清廉・高潔なことに驚いていたほどです。

2008/2/26

3 戦後教育の間違いに気付き、修身教育を学び直し、世界に誇れた精神国家を取り戻すしかないと思います。

「教育勅語」・・・日本人にとってなにが「大切なこと」なのかを示された手本

明治天皇は明治元年、国是五箇條を神々にお誓いになり、新生日本の大方針を明らかにされました。政府はこの方針にそって、近代国家の建設には人材の育成が急務であるとして、明治5年学制を公布し、全国的に学校を設置して義務教育の制度を確立し、教育の普及に努めました。しかし当時は文明開化の風潮により洋学が重んじられ、我が国伝統の倫理道徳に関する教育が軽視される傾向にありました。

このような実情を深く憂慮された明治天皇は、徳育の振興が最も大切であるとされ、わが国の教育方針を明らかにするため明治23年10月30日、教育勅語を渙発されました。勅語には、日本人が祖先から受け継いできた豊かな感性と美徳が表され、人が生きていくべき上で心がけるべき徳目が簡潔に述べられていましたが、戦後に教育勅語が排除された結果、我が国の倫理道徳観は著しく低下し、極端な個人主義が横溢し、教育現場はもとより、地域社会、家庭においても深刻な問題が多発しています。

今こそ、私たちは教育勅語の精神を再認識し、道義の国日本再生のために、精進努力しなければなりません。

【教育勅語の口語文訳】

私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。

国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう
明らかにすることでもあります。            

このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

〜国民道徳協会訳文による〜

【教育勅語の十二の徳目】

孝行(こうこう) 親に孝養をつくしましょう

友愛(ゆうあい) 兄弟・姉妹は仲良くしましょう

夫婦(ふうふ)ノ(の)和(わ)

夫婦はいつも仲むつまじくしましょう

朋友(ほうゆう)ノ(の)信(しん) 友だちはお互いに信じあって付き合いましょう

謙遜(けんそん) 自分の言動をつつしみましょう

博愛(はくあい) 広く全ての人に愛の手をさしのべましょう

修学(しゅうがく)習業(しゅうぎょう) 勉学に励み職業を身につけましょう

智能(ちのう)啓発(けいはつ) 知識を養い才能を伸ばしましょう

徳器(とくき)成就(じょうじゅ) 人格の向上につとめましょう

公益(こうえき)世務(せいむ) 広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう

遵法(じゅんぽう) 法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう

義勇(ぎゆう) 正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう

上記の当たり前の教育勅語を忘れて(忘れさせられた)しまった日本人の今は、人間関係も希薄になり欧米思想の個人主義が蔓延してしまいました。

おかげで他人に干渉すると怒られたり、プライベートの侵害、個人情報だ!などと行き過ぎた個人主義が蔓延する状況になっています。

また義理や人情も失われて「自分さえよければ」、「面倒な事には関わりあいたくない」、「損得でしか動かない」などの思いやりの欠如も問題になっています。

これらの人間関係の希薄さに加えて安易な妊娠・結婚・離婚も重なり合って「虐待」や何十年も自分の親の生死と所在を捜さないとか、年金の流用事件などが起こっているのです。

世界ではこれらの事件を大笑いして呆れてしまうぐらい、石原都知事が日本人を評して「日本人はここまで落ちてしまったか」と言わせるくらいの落ち方です。

これも全てアメリカ文化の弊害と日教組の間違った戦後教育が原因なのは確かです。

2010/8/9

4 家のために、家族のために、祖先のために、子孫のために、国家や地域社会のために、

というような考えで今まで日本人は働いてきましたが、昨今では自己実現のためにとか、

個人的な嗜好で働いている人が多くなってきています。

一度きりの人生だから自分の人生だけ幸せなら良いわけで、後先のことは考えていないという恐ろしい考えです。

その自己実現をして楽しんでいる人の命は、誰から授かったのか。そういうことを全く考えていない人が増えているわけです。楽しんでいる本人は祖先から命を授かったにもかかわらず、自分の祖先のことも自分の子孫のことも全く考えずに、自分の事だけを考えているので少子化になるのです。

確かに全ての人生を国家のためにという、戦前の考えは行き過ぎでしょうが、しかし行過ぎた個人主義も考えものです。 2011/2/17

5 今の子どもたちは「教師と対等」と思っているため、教師が授業中に私語をしている生徒に注意すると、逆に「お前の授業は面白くない、俺たちの会話が重要だ」と言われてしまう。教える方と学ぶ方が対等だと考えているのであるから、学習の場など成り立つわけがない。そうすると、自分の行動の規範を未成熟な自分に求めることから、レベルの低い自分勝手な行動になってしまいます。その結果、教師や親の言うことを聞かず、暴走し、止まることなく進み、学級崩壊、非行の多発になり、学校が学びの場でなくなってしまいます。 5/26

福島の原発事故で日本人の民度の低さの例があれば、示してください

1 今日NHK・BSの海外ニュース特集で海外メディアが震災・原発特集の放送していたとき、原発の風評被害について気がついたことがあります。

漁業で魚を処理している女性が、原発の放射能汚染に困っていると映像とインタビューで紹介されていたのですが、この女性は震災前に捕った魚しか食べないと言っていました。そして今捕った魚が消費者に買ってもらえないのではないかと心配していました。このことは、おかしくないでしょうか。今現在汚染は基準値以内なので何の問題もないはずで、だから漁をしていると思います。それなのに自分は汚染が心配で、今捕った魚を食べない。これが続くと食べる魚がなくなってしまうと心配しているのです。自分で(業者が)食べないものを消費者が食べるわけがない。風評を自分自身が肯定してしまっては本末転倒ではないだろうか。基準値以下の安全なものは自分でも食べないと。なぜなら安全なのだから。そして安全だと言ってもらわないと。これって野菜や牛乳もそうなのだろうか。生産者は被災者でもあり、降って湧いたこの難局に対して、私はものすごく同情するのだが、もしそうならこれは風評被害といったある意味感じ方の問題でなく、考え方の問題になってしまいます。 3/31

2 私は自宅が第2原発から20Km県内にあり現在、某避難所に避難しているものです。

その某避難所に有名大学医学博士が先日、放射能について講演に来られました。

私は、その時間帯に避難所から外出しなければいけない用事があり、その医学博士の講演を聞くことができませんでした。

以下に簡略にその医学博士の講演で話された内容を記します。講演内容を聞いた、同じ避難所にいる方たちから聞いた内容です。

・原発が爆発しなければ何の問題もありません。生活、食事は問題ないそうです。

・野菜や米を避難地域で耕作しても問題ない。もちろんその食事も。

・放射能を多少浴びたほうが、花粉症とかは治る場合もあるし、体調がよくなる場合もある。

・避難地域内でも、窓を開けて生活していても何の問題もないそうです。

以上が講演内容の一部です。

講演後にある避難民が質問されました。

(避難民)私の自宅は原発からほんの数Kmしか離れていないのですがそこでの生活も問題ないのですか。

(博士)問題ありません。

(その医学博士の所属する大学に研究費の献金があったかどうかは定かでは無いです、当然超有名大学です)

この医学博士の講演後に、この医学博士の講演内容を信じて多くの避難民が帰省しました。しかし、後日帰省場所の状況が悪く新聞報道され、またその地元の役場からも良くない情報がなされ、結局帰省した人たちは、再度別な場所に避難か、自宅の水も飲めない自宅避難を強いられています。何を信じてよいかわかりません。 4/3

3 サリンをまいたら死刑だけど、殺人行為、戦争行為と同様である放射能汚染物質を垂れ流しているのに死刑にならないのはなぜですか。政治家の説明、原子力安全・保安院の説明を聞いていると空気中、および海に放射能汚染物質をまき散らしても希釈することで安全、安心を得られると説明しています。私は、この説明は詭弁であり、自然環境を破壊する行為であり、一国により独断で放射能を垂れ流しにするのは、テロ攻撃と同じ性質を持つものであると考えます。このような事態があれば、例えば、国連などから内政干渉されて国の存在を否定されても文句は言えないとさえ思います。つまり、世界の自然環境を崩壊させるテロ的行為となんら変わらない行為として認定されても、文句は言えないのではないかとさえ思います。なぜなら、地球環境を崩壊させる脅威を与えているからです。 4/5

参考・引用文献 実践倫理講座 人の巻 人生を輝かす   上廣 榮治

W elcome to Planet   プラネット